ファッションモンスタップ

ある日、神さまがぼくの前に現れてこう言った。
「お前は日頃の行いがいいしイケメンだから、ご褒美に何か一つだけ願いを叶えてやるぞよ。何でも願うといいぞよ」
ぼくはこのとき、やった!ではなくてやっときた!と思った。
待ってましたなのだ。
そう、いつか必ずこういう日が来ると信じて、ちゃんと考えを用意していたんだ。よーし、言うぞ、言うぞ。
「(神さま、ぼくは擬音が実際に出せる能力が欲しいです。ボヨーンとかスイーとか、シーンとか、ああいうの。実際に出せたらすごくたのしいです!)」
服が透けて見えるようになる能力と、長年悩んだけどやっぱり間違いなくこっち。ずっと決めてた。
しかし、いざ言う段階になると、やはり悩む…。追加で出てきた、次のうちのふたつの能力と。

  1. 肉を食べたとき、その個体が死ぬ直前の映像が見える能力
  2. ブタに、お前の体はキムチと一緒に食うとすごく美味いと教える能力

2とか特に、さっき豚キムチ食べててすごく思った。

超絶ご褒美映像

この歳になると水着美女とかの写真みてもそんなに面白くなくて、それよりはおっさんのオシャレ画像とかのほうがご褒美映像化が止まらなくて困る。
「ファッションアイデア」を Pinterest で発見
みてくださいよ。リンク先を。ぼくが集めたピンタレストを。この、知性と気品を携えた大人の男が醸し出す色気…。
しかも全力とか出してなくて、ぜんぜん余力で着こなしてる感…。
たまらん…。
断言していいが、大人の男は胸元と腰とアゴが全てだ。
あと目と鼻と口と耳と肩と背中と腕と手指と足と匂いと声と…。

マズロー

犬が交尾してるところみると、ああ、やっぱ畜生だなあ、そこへいくと人間てのは知性があるから節度というものがあるね、などと改めて感じる。
話題は、いきなり交尾の話しに変わるが。

最近はあまり野良犬もみかけなくなって、生活してていきなり犬の交尾に出くわすことも少なくなったけど、別に犬に限らずネコでもウマでも、トンボでも。
つまり生理的欲求をそのまま行動に移す畜生道と比べると、人間はそれよりは多少は高位な存在であると感じる人は多いと思う。
それをちょっとスライドさせて考えてみた。

そもそもの発端は、なぜ数ある生理的欲求のうち性欲だけが対象なのか、という疑問から始まった。
いやいや、食事とかも、あるではないか、マナーとか。我々文化人には。とか、当たり前の思考を経て、
いや、まてよ。と思った。

もしかしたら、食事とかにもマナーとか作法とかそういう生やさしいものではない決まりごとがあって、それを守れない奴はそれを守る奴から、家畜をみるような目でみられているんじゃないかな。
ぼくが、犬の交尾を見るのと同じような目で、ぼくは誰かから見られている、とは考えられないかな。

支配される側

話しは飛ぶが、民主主義って結局のところ支配者が失敗しても最悪死なない仕組みでしかないとぼくは考えている。
いきなりついていきにくくなってごめん。
所詮、偏差値30台の高卒が最終学歴の男が書く文章だから、これを読む読者もその程度の人間ってことだから、その程度の話題しかできないよね、お互いに、ってことで許して欲しい。

世の中、表向きは平等ってことになってるし、実際にそのためにきちんと整備もされているとは思うけど、それでもやっぱり支配と被支配の構図はあんまり変わっていなくて、昔の封建主義と比べて違うのは、封建主義だと支配者が失脚したら死ぬけど民主主義だと死ぬ事はないなあというくらいしか実感として感じない。
もしかしたら、もっと支配者側と近い位置にいれば感じ方も違うかもしれないし、そもそもぼくは封建社会を生きてないので違いを感じるも何もないんだけど。だから、手が届く半径1メートルくらいしか影響を及ぼすことが出来ないぼくがいうたわごとに過ぎないんだけど。

話しを進めるけど、洋の東西を問わず昔の封建社会とかだと、支配者側は支配者側で社会のルールがあって、それこそ服の着こなし方や食べ方、朝起きて夜寝るまでの時間の過ごし方など全てにこと細かいルールがあって、もし間違えれば失脚=死がすぐ近くにあった。
宮中など失点方式だから、とにかく作法ひとつ違っただけで弱みとして握られ、服の着方ひとつとっても命がけだった。

そういうふうに想像を進めていくと、今は表向きはみんな平等になったけど、そう思ってるのは支配される側だけで、もしかしたら支配する側は相手にわからないように、支配する術を伝えているのかもしれない。
だから今でも、支配者はきっちりマウントとってくると考えられないだろうか。

今でこそ、死にはしなくなったけど一歩家を出れば責任が重くのしかかってくる支配者側。
家を出る直前。しっかりと靴紐を結ぶ時間が、間違いはないかいまいちど確認をし決意を固める最後のチャンス。

そういう人間が、カンタンに履けちゃう靴を履いてるぼくを見ると、こう思うのかもしれない。
「ああ、成る程」
「こいつは、何の覚悟もなく家を出てきたんだ」
「カンタンに家を出られる程度の奴なんだ」

年男

最強伝説黒沢という漫画に、
「オレは…齢男(としお)だ…!ただ齢を重ねただけの男…!」
というようなセリフがあるが、まさしく、男は歳とると自動的に大人になるんじゃなく、歳とっただけの男はただの齢男だと思う。
”大人の男”になるためには、年齢だけではなく知性と気品をまとわなくてはだめで、そのどちらもぼくには欠けている。

年齢と知性と気品の3つは最低条件で、これらがそろってやっと最低限”大人の男”として認められて、野性味だったり少年ぽさだったりといった別の要素はオプションでくっつくものだと思う。

結局、さんざん迷ったあげく、ぼくは神さまに
“肉を食べたとき、その個体が死ぬ直前の映像が見える能力”
をお願いすることにした。ウッフ〜ンとか音が出る能力、すごい欲しかったけどがまんした。家畜は死ぬ直前まで(もしかしたら死んでも)自分が何者なのかわからないのかもしれない。

だからぼくは、何か迷ったときいつも自分にこう問いかけるようにしている。
「お前は太ったブタでいたいのか、やせたオオカミになりたいのか、どちらなんだ」
と。そしてこう答える。
「え、どっちでもいいです」

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