死ぬ準備をするために生きていると言うと、ひどくネガティブな言葉にとらえられるだろうか。実際のところはそうではなく、とてつもなく前向きに生きている。
父親が50歳で死んでしまったために、どうしても自分の人生設計が50歳までしか想像できない。実際にはピンピンしたまま生き続けて、120歳になるころに孫達にこの爺ちゃんいつ死ぬんかなと煙たがられるかもしれない。あるいは、明日死ぬかもしれない。どうしようもなく当たり前のこと過ぎて書くのも嫌だが、人間、いつ死ぬかなんてそんなにはっきりとはわからない。ただ、いつかは必ず死ぬ。
妻は私に家族を与えてくれた
陣痛で苦しむ妻を病院に向かわせるとき、もしかしたらこの玄関扉をくぐると妻は帰ってこられない可能性があることに戦慄した。
出産直後、出血が止まらず分娩室が騒然となった。次々と投入される収縮剤。慌ただしく動くスタッフたちをよそに何もすることができずただ見ているだけの私は、鉛のように重たく氷のように冷たい空気が、肺の中まで侵食してきたように、ただただ息苦しく何もできないでいた。妻の命のやり取りの現場で、ただただ息をひそめて見守る人でしかなかった。
結果的には経過も良好で、なんの問題もなく母子ともに健康で暮らせるようになった。思えば妻は常に喜びに満ち溢れ、否応なくノンストップで進む命のやり取りを受け入れ私に家族を与えてくれた。
いかに医療が進み出産が安全なものになったとはいえ、妻は家族のために命のやり取りを受け入れた。ならば私はどうなんだろう。あの日から私は私の役割について考え始めた。
私の役割は家族のために命を燃やすこと
この平和な世の中で、男である私が家族のために命をやり取りする機会はめっぽう少ない。仮にあったとしても、法律や道徳の問題であまり許された行為でないことのほうが多いだろう。出産という命のやり取りをした妻に対して相対的に私の役割がひどく軽いものになったような気がした。
だからというわけではないが、だからというわけでもある。
実際にはもう少し思考の紆余曲折を経て得られた結論なのだが、言語化できるほどまとまっているわけではないので、だからというわけで、という言葉にまとめてしまう。だからというわけで、私が家族にしてあげられることは、家族のために命を燃やし続けることだと思った。
生きることとは死ぬための準備だった
別に格好つけるわけでも極端なことを言うわけでもないのだが、どうしても思考の過程として以上のような考えのもとに生活をしているということは、事前情報として伝えておかないと、ここから先も話がしにくい。
私を含めた人間はいつか必ず死ぬ。
地震が来たら死ぬし津波が来たら死ぬ。雨が降ったら死ぬし車が来ても死ぬ。メディアが伝えるずっと昔から、暑かったら死んでたし寒くて死んだ人もいっぱいいる。下手なもの食べたら死ぬしたまたま居た場所に流行った病気にかかっても死ぬ。私も何かしらで死ぬに違いない。
だから生きよう。
もし明日死んだとき、家族が露頭に迷わないよう、小さな家を買った。
売ったら少しくらいのお金になるような、車も買った。
仕事に困らないよう、みんなが楽しく働けるような会社を作った。
ほかにも、家族が困ったとき、できるだけ近くの人にやさしくしてもらえるよう、私も地域のためにすすんで活動を続けた。
私の家族はとても優しい者たちなので、どうか誰からも好かれてほしい。私も誰からも嫌われないように、誰もを好きになった。
死ぬ準備が生きることと同義になった。
何をするにしても、死んだとしても家族にメリットが残せるか。常にそれだけを考えて行動した。
引き返せない怖さはある。
むしろ、怖さばかりだ。
それでもなお、誰かのためになり続けられるし、少なくとも家族のためになれる。何十年も前、死ぬこととか生きることの意味がわからず、溺れながら生きてた自分に伝えたい。命は燃え続けている。