雷鳴

コピペの街にであうだろう

車体を滑り込ませるように走らせて山道を分け入る。
道幅は、バイクなので多少の余裕があるが、もし車だと軽自動車同士でも離合できないほど狭い。そんな道をもうずっと1時間以上も走らせているが、対向車に出会うこともない。
生きてる人間は、世界中でおれ一人だけになったのかもしれない。そんな錯覚を覚えるほど険しく、静かな、山みち。

峠を越えたあたり、突然、人にでくわす。
歩行者だ。
歩行者というか、体操服の、中学生男子の、集団だ。
部活だ。
部活中の子供たちが、ジョギングをしている。

なぜこんなところで部活?
一瞬、混乱するが、その後すぐに理由がわかる。
峠を越したあたりから、次の街に着いたのだ─────。

おれがものすごく遠くに来たと思っていたところは、次の街のはずれだった。
やがてファミマがみえてきて、ガストがあってはるやまがあって、レオパレスがあって白木屋があって、四角い軽自動車に囲まれるだろう。
コピペの街はおれを迎えてくれるが、旅はまだまだ終わらない。
次の山みちを目指して、県道をそれる。

山林サンシャイン

人生の旅路は、もうもどれないところまできてしまった。
だから進むしかない。
旅の途中で、子供のころの自分に出会った。
自分と少し違ってて、やさしくて利発そうな女の子だ。
人を傷つけてしまったと泣いていたので、自分が傷つくことはないさと答える。
丸顔の女の子はうなずく。

バイクの進路は、山あいにある集落に差しかかった。
コピペの店がない、それだけのどこにでもある集落。いわゆる田舎。
町を横ぎる川に沿うようにして作られた道路を走る。

ふいに、町の有線放送から、音楽が流れる。
  〜家路〜
   遠き山に 日は落ちて
   星は空を ちりばめぬ
   心軽く 安らえば
   風は涼し この夕べ
   いざや 楽しき まどいせん
   まどいせん
地域の子供たちに、帰宅をうながす放送だ。
ドボルザーク将軍が漢兵に囲まれたときに、故郷である楚の歌をうたわれて「なんか負けた気がするので帰りたくなった」といって作られた曲で、ふるさとにあるアパッチ砦をおもわせる独特の節まわしが何とも哀愁を誘う。

ふと、道沿いの家の軒先にある、まだ新しい三輪車に目をやる。
おれも家に帰って家族にあいたくなるが、まだ旅はおわらない。

だいぶ傾いた日が、向かう先の山はだを照らす。

離れ続けるものを埋めるべきものがない

ビッグバン以来、宇宙の原子の総量は変わらないという。
「宇宙ができてから、ずっと材料がめぐりめぐってきとるがぞ。ほやけん、マサムネ、お前の体の一部の原子はもともと、もしかしたら虎さんの肛門やったりしたかもしれんので」
子供のころ、父は酔うと化学の不思議な話をするのが好きで、そう教えられた。
だから、それ以来、なんとなくおれは虎の肛門だったような気がして生きている。
この話しから得られる教訓は、まずい例えは迷惑だということだ。

父や母も、もう亡くなってからずいぶん経つが、父や母だった原子の一部は、巡り巡って誰かのもとにいくのだろう。
世界が終わるようなほどつらい思いをしたが、こんなに悲しいのに、世界が何も変わらなかったことが何よりもつらかった。

いや、そうではない。
ビッグバン以来、宇宙にある原子の総量が変わらないのなら、宇宙は膨張し続けているのだから、原子と原子はもの凄い勢いで離れていってることになる。
毎秒何億光年のスピードで離れ続けていってる世界─────。

だからこんなに寂しいのだ。
バイクを走らせていても、追いつけないほどに。

闇に燃えしかがり火は

古来より人間は闇をおそれてきたので、いまおれが暗いところを怖がっていても、なんらおかしいことではない。
やっと到着した山の中のキャンプ場で、バイクを傍らに、食べることもせず飲むこともせず、ただ焚き火の番をして、消えれば、寝るだけ。

焚き火のむこうにある暗やみは、何があるかわからないので、こわい。
闇の向こうで、何も音がしなければこわいし、何か音がすればこわい。

宇宙を認識しているのは脳の役目なので、火が消えてこわくなったら、テントに潜って寝ればいい。
20世紀の物理学者達は、量子の世界では人間の観測が宇宙に影響を及ぼすことを発見した。
絶対にそんなはずはないと、100年かけて天才達が研究し続けた結果、やっぱりどうも本当らしいというのがわかって迎えたのが21世紀。

宇宙は、絶えず不確定で、人間が、人間だけが、観測すると収束して確定する世界。

宇宙オワタ。アタシは死んだ。スイーツ

科学が発達して、人間が原子よりも小さいものを観測できるようになったとき、ある矛盾が生じた。
ものの最小単位は、粒子でないといけないのに、いざ量子という最少単位を観測してみると粒子ではなく波動のような動きをするのだ。
波動では、いけない。粒子でないと、これまで人類が成り立っていた根底、宇宙の成り立ちからして全て計算があわなくなってしまう。
天才達が100年かけて、この問題に取り組んだ。

まず、波動のように観測してしまうのが、間違いなのではないかという説。
しかしながら、この観測方法でつじつまが合わないのは、量子が波動であるという点だけ。逆に言うと、それ以外はすべてつじつまが合うのだった。量子は波動として観測しないと、他の全て(それこそ、宇宙の何もかも。我々の認識しているもの全て)が狂ってしまうのだ。

では量子はもう波動でいいんじゃないという説。
これも進めてみたがだめだった。量子が波動だと(つまり粒子でないと)、他の全ての物理学が成立しないことになる。
等加速度直線運動はv=v0+atではなくなるし、1立方cmの水は1mgではなくなる。
1個のリンゴと1個のリンゴを足しても2個のリンゴにならないから1+1=2も成立しなくなるし、宇宙は存在しないことになる。

「今までずっと、量子って、小さいツブツブなんだろうな、と考えてきてたし、それであってたのに、実際に見てみると波だった」
たったそれだけのことなのに、宇宙の根底を揺るがす大問題となった。
誰も答えがわからなかったし、たぶん、科学者達の中でそのとき一度、宇宙は終わった。

何ンしたイン

宇宙を救ったのは、量子物理学というあたらしい考え方だった。
全ての量子は、粒子と波動の二つの性質を持っていて、通常は粒子として働く。
ただし、人間が観測したときだけ、波動として認識される。
サルが観測してもダメで、人間が観測したときだけ。
そうじゃないと計算が合わないから。
イルカでもダメ。フェイントかけてもダメ。

人間がいつ観測するかわからないのに、そんなの科学じゃない、という人のために、量子物理学はオプションが用意されている。
もうひとつの量子物理学はこうだ。
宇宙は絶えずパラレルワールドに分裂していて、それは人間が量子を観測したときに起こる。
量子が粒子だった宇宙と、波動だった宇宙とに、そのとき別れる。
人間が観測したときだと、別れたばっかりでお互いの宇宙は影響しあっている。
だから量子は粒子っぽくもあるし波動っぽくもある。
というもの。

ますます科学からかけ離れているような気がするが、科学者達の目はマジだ。
この二つの考え方のどちらか好きなほうを選ぶことが出来る。
アインシュタインも、「おれそういうの嫌い」って言ったが、ついに量子物理学の矛盾をみつけることが出来なかった。
量子物理学には、全く矛盾がみつからないのだ。

あなたがせっせとDVDに焼いているエロ動画も、すべて量子で成り立っている

量子物理学は、科学者だけがもつ極端な理論ではなくて、実際に生活の場で使われている。
そもそも、量子物理学でないと光の存在を説明出来ないので、太陽は明るいし虹はきれいだしガラスは透けて見えるし。
DVDを読み込むレーザー光線の原理や、コンピューターなどに使われるシリコンの原子配列も量子の世界を応用している。

どうしてこんな複雑で不思議な世界になったのか、誰にもわからない。
ウサギの皮を剥いで食べて、山にはこわいオオカミがいて、水辺はおぼれるから近づけなくて、山菜はおいしくて、世界はもっと単純だったはずなのに。

電池を売る男の話し

ある男に出会った。
未来から来たとうそぶくその男は、電池を買わないかとたずねてきた。
電池とは何だと聞き返すと、電気を蓄える筒だという。
電気なんてビリビリするものが入った筒を買って何になる。男を帰そうとしたが食い下がる。
これを見ろ、電灯といって電池を使って灯りをともす。便利だから使ってみろと貸してくるが、灯りはつかない。
おかしいな、電池切れだといって、男は電灯から小さな筒を二本取り出す。
懐にあった別の筒を二本入れ替えると、明かりが灯った。

ほうら、みろ。おれのいったとおりだ。
やっぱり電池なんていかさまだった。
最初に入ってた電池と、新しく入れた電池と、何の変わりがある。それこそがいかさまの証拠。

加えて、電池の原理を男に説明させようとするが、要領を得ない。
よくわからないけど、確かに電池の中には電気があるんです。科学の力です。科学を信じれば、明かりは灯ります。
かわいそうに。男は少し、おかしいんだ。
だから、未来から来たなんて、うそぶいて─────。

閃光とともに、雷鳴がとどろいた。

意識はキャンプ場に戻り、テントの近くに雷が落ちては大変と、豪雨の暗やみのなか炊事場まで避難に走る。
全宇宙を確定する権限が、人間にだけ備わっているなんて間違っていると、本当は誰でも知っている。
どこかで間違えたのかもしれないけど、それでも進むしかない。

子供のころ、家の裏に見える山の先へ、越すことに思いを馳せていた。
この山を越えたら、まだ見たことない世界が広がってて新しい未来があってそれをまた越えて。
そんなコピペをくり返すうちに、もう故郷がどうだったかも忘れるくらい遠くに来た。
親にそっくりになった自分がいて、子供みたいな親になってて。

雷鳴はまだやまずに、こわいからもうおうちに帰りたい。スイーツ(笑)


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