弱者マウンティング

前段

蚊をみてて思うのだが、人間の血さえ吸わなければ、
血吸ったくらいで虐殺するのは人間だけなのだから、
ほかの動物の血だけ吸っとけば殺されることなく吸い放題なのだということを、
どうにかして蚊に教えたい。そのためには蚊語をしゃべれるように習いたい。

人殺しが稼げる時代

むかしむかし、日本にはお侍さんという、人殺しを生業とする職業があって、その生業は家系として継いでいってたそうで。
人殺しの能力を金に換えるのは、殿と呼ばれる専門家がいたそうで、すごいな、と思うのが、人口のごく一部であるこの人殺し集団がそれ以外の大多数の人々を支配できるほど金を稼いでいた時代があったという事実。
この時代に生まれないでほんとよかった。

能なしでも何かしらの役には立つ時代

戦乱の時代では、どんな能なしでも捨て駒として役には立つ。
食糧難にあえぐA地域とB地域があったとして、どちらもいよいよ餓死者が出そうだという段階で、A地域の水飲み場で勝手に水を飲んでるB地域の者を見かけたとの噂が立つ。
A地域の若者達は自警団を結成し地域にとって貴重な水飲み場を警護する。やがてB地域の女が子供に水を飲ませようとこっそり利用していたところを捕まり、それをきっかけにお互いの報復活動が激化する。
A地域とB地域のそれぞれの代表者は話し合い、あらかじめ決めておいたそれぞれの地域の犯罪者などを兵士として出し合い戦わせ、適当なところで人数が減った段階で示し合わせていたとおり終戦。境界線の引き直しを少しだけ行い、それっぽく勝ち負けを住民にわかりやすい形で示す。
口減らしされた犯罪者や能なしも、適当な感じで軍神として祀って一件落着。
この時代だと私は確実に能なし扱いされてたので助かった。
吹き矢は武器として支給されていないにも関わらず、なんかかっこいいという理由だけで吹き矢を練習しその練習中に自分の吹いた吹き矢に自分が当たって殉死するという、世にも珍しい無能っぷりで軍神にもなり得ず。正宗さん、相当カッコワルイ…。

隙あらば弱者としてマウントしてくる時代

平和な時代になると、弱者を救済するための福祉という概念が一般化された。
それ自体はいいことなのだが、福祉の制度を利用して弱者としてマウンティングの取り合いをする者達が現れ始めた。
世はまさに、弱者として認められたい者時代。
いい大人が、女子供お年寄り見境無しに、少しでもポジション取れるとふんだら「傷付いた」とか「だまされた」とかアピール。
「おれこそが弱い」「いやいやおれだって」「いちばんかわいそうなのはおれだ!」
人より少しでも自分の地位を下げたくて、女子供相手にスライディングかましてくる大人達。
もともと、日本文化はマッチョイズムが相容れない性格だけど、いくらなんでもこれはひどい。

本来、世の中のルールは弱肉強食が基本なのは変わらないから、公共福祉の概念はあくまで救済措置としてあるはずなのに、一瞬だけ得に見える「小さな報酬」を目の前にした人達が我こそはと弱者のポジション奪い合う。
みんな元気に弱者ポジション奪い合うから、本当に必要な人に福祉が行き渡らないばかりか、福祉が拾いきれるギリギリのレベルの弱者までチキンレースするものだから一線を越えてドボンする人まで出る始末。
ドボンしてしまうと、昔だと、最終的に軍神として祀られる可能性もまだあったけど、平和な今だと貧困ビジネスの餌食としてヤクザに利用されるのが関の山。
避けなければ。ドボンだけは。

見たウシのでかさまで体を膨らませようとするカエルの話し

ある水池でカエル同士の会話。
ウシをみたことがあるカエルAが、そのウシの大きさを語るのだが、その話しを聞いていた、自分を大きく見せたいカエルBは体がでかいウシという存在が気に入らない。
「おれのほうがでかいべ」と体を膨らますカエルBだったが、「いんや、ウシはそれよりももっとでかい」とにべもないカエルA。
体を膨らませすぎたカエルBはついに破裂してしまうのだが、この話しから得られる教訓は、カエルさんは破裂するほど自分の体を膨らませられるらしい、である(そしてウシさんほど大きくはならない)。

そういえばカエルの味は鶏肉に似て美味いらしい。ではカエルを食べるトリは味についてどう思っているのだろう。
トリ語をしゃべれるように習って、聞いてみたい。

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