ハンドドリップはじめました

弟の家に遊びに行ったとき、淹れてもらったコーヒーがうまくて、私も家に帰ってからコーヒーの入れ方を勉強するようになった。
それまでは、とくに嫌っていたわけでもなく、自然とコーヒーに興味がなくて、興味がないからほとんど飲んだことがなかった。
すっかりコーヒーの楽しみ方に興味を持った私は、スタバのハンドドリップセミナーまで受ける始末。リア充の仲間入り。これだからニワカは。
セミナー前日、「明日スタバに行くんです」と言って美容室で髪切ってもらった。ふだん1年は髪を切りに来ない私に対して「宇都宮さん前回1月に来てからえらいサイクルが短いですけど何かあるんです?」といぶかしんで聞いてきた美容師さんに、「明日スタバに行くんです。だから、髪を切るなどしておしゃれしないと!」と答える。前回1月に髪を切りに行ったときは義姉の結婚式だった。相変わらず、宇都宮さんのおしゃれはレベルが高い。

豊かな味わい

そういえば、植民地にしたければコーヒーを買えといったのは、誰だっただろう。

もともとのきっかけは圧力に屈してなのか、それとも目の前にぶら下げられた高値で売れる欲にかられたのかはわからないが、先祖から受け継いだ豊かな大地で、コーヒーチェリーを育てるところから物語は始まるに違いない。
食用に向かない果実をさんざん育てて対価を得てきた結果、その国は輸出先である先進国に隷属しなければ生きていけなくなる。
少しでも先進国の機嫌を損ねて、コーヒーの輸入を止められてしまうと、産出国に残るのはコガした種をお湯に浸して出る苦い汁だけだ。

コーヒーを買えば買うほど強くなる搾取の構図。
私は、こういう、ぱっと見支配してるように見えない強い支配の仕組みが大好きだ。
だまし絵とかかくし絵みたいな、一見すると森を描いた絵に見えるんだけどよ〜くみるとえっちな男女が見えるよ、的な。
もとの形が隠されててよくわからなくなってて、でも確実に存在しているものに対して強く物語性を感じてしまうのだ。
他の食品よりも少しだけ高値でコーヒーを売らせておけば、喜んで支配される側にまわってくれる仕組みは、悪魔的な賢さが隠されているように感じる。
コーヒーの味わいは深い。

文明開化の味がする

ペリー「クジラ捕るとき寄らせてね。そうだ、コーヒー育てん?高値で買うヨ。宗教とか無いんならキリスト教の宣教師も派遣するけど」
日本人「いやいやいやいやいやいや、わりと色々結構です。超恐い」
我々のご先祖様がGJだったのが、こういった類の要求をある程度突っぱねたことだと思う。
コーヒーの輸入で経済的に、宗教の輸出で精神的に完全に支配してしまおうという列強諸国。恐るべし。いちおう念のため書いておくと、ペリーと交わした日米和親条約や日米修好通商条約に実はコーヒーの輸出入が盛り込まれててそれを日本が突っぱねたのではないかということが言いたいんではなく、このあたりの時代に日本がコーヒー生産国ルートを辿らなかったことが幸運だったと思うということが言いたかった。

とにもかくにも、あの時代のご先祖が列強諸国を超怖がっていたことは疑いようがないほど伝わってきてるので、そんなに恐い列強に対して、いかに被害を最少にして列強に巻かれるかではなく、いかにして日本も列強になるか、そのためには列強の真似をしなくてはというルートを選択したことが、今の我々にとっても参考になると常々思っている。
なりたくても今現在なれぬものに対しては、模倣が最善であると歴史から学ぶ。

ハンドドリップは奥が深い

タイトルは嘘。ハンドドリップは、奥が深くない。
コーヒーを淹れるのはお湯さえ沸かせば誰がやってもできる作業だ。
機械でもできる。
というか、自分が淹れたのは機械よりまずい。ただ、自分はこれ以上の便利さに溺れたくないので手作業で淹れるようにしている。
自分にとってハンドドリップがそれ以上になることはないかもしれない。
それでも、自分以外の、淹れてくれる人に対して感謝の気持ちを込めて、こう言うのだ。ハンドドリップは奥が深い、と。


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