宇都宮正宗 のすべての投稿

美容師見習い、警備員、鉄筋工という職業を経て、2000年からフリーランスとしてウェブプログラマーをやっています。頭がいいので話しが面白いです。 コメントはほとんど返しません。たまに返すときもありますが、「面倒臭いんだろうな」くらい思ってもらってたほうがいいです。

ハンドドリップはじめました

弟の家に遊びに行ったとき、淹れてもらったコーヒーがうまくて、私も家に帰ってからコーヒーの入れ方を勉強するようになった。
それまでは、とくに嫌っていたわけでもなく、自然とコーヒーに興味がなくて、興味がないからほとんど飲んだことがなかった。
すっかりコーヒーの楽しみ方に興味を持った私は、スタバのハンドドリップセミナーまで受ける始末。リア充の仲間入り。これだからニワカは。
セミナー前日、「明日スタバに行くんです」と言って美容室で髪切ってもらった。ふだん1年は髪を切りに来ない私に対して「宇都宮さん前回1月に来てからえらいサイクルが短いですけど何かあるんです?」といぶかしんで聞いてきた美容師さんに、「明日スタバに行くんです。だから、髪を切るなどしておしゃれしないと!」と答える。前回1月に髪を切りに行ったときは義姉の結婚式だった。相変わらず、宇都宮さんのおしゃれはレベルが高い。

豊かな味わい

そういえば、植民地にしたければコーヒーを買えといったのは、誰だっただろう。

もともとのきっかけは圧力に屈してなのか、それとも目の前にぶら下げられた高値で売れる欲にかられたのかはわからないが、先祖から受け継いだ豊かな大地で、コーヒーチェリーを育てるところから物語は始まるに違いない。
食用に向かない果実をさんざん育てて対価を得てきた結果、その国は輸出先である先進国に隷属しなければ生きていけなくなる。
少しでも先進国の機嫌を損ねて、コーヒーの輸入を止められてしまうと、産出国に残るのはコガした種をお湯に浸して出る苦い汁だけだ。

コーヒーを買えば買うほど強くなる搾取の構図。
私は、こういう、ぱっと見支配してるように見えない強い支配の仕組みが大好きだ。
だまし絵とかかくし絵みたいな、一見すると森を描いた絵に見えるんだけどよ〜くみるとえっちな男女が見えるよ、的な。
もとの形が隠されててよくわからなくなってて、でも確実に存在しているものに対して強く物語性を感じてしまうのだ。
他の食品よりも少しだけ高値でコーヒーを売らせておけば、喜んで支配される側にまわってくれる仕組みは、悪魔的な賢さが隠されているように感じる。
コーヒーの味わいは深い。

文明開化の味がする

ペリー「クジラ捕るとき寄らせてね。そうだ、コーヒー育てん?高値で買うヨ。宗教とか無いんならキリスト教の宣教師も派遣するけど」
日本人「いやいやいやいやいやいや、わりと色々結構です。超恐い」
我々のご先祖様がGJだったのが、こういった類の要求をある程度突っぱねたことだと思う。
コーヒーの輸入で経済的に、宗教の輸出で精神的に完全に支配してしまおうという列強諸国。恐るべし。いちおう念のため書いておくと、ペリーと交わした日米和親条約や日米修好通商条約に実はコーヒーの輸出入が盛り込まれててそれを日本が突っぱねたのではないかということが言いたいんではなく、このあたりの時代に日本がコーヒー生産国ルートを辿らなかったことが幸運だったと思うということが言いたかった。

とにもかくにも、あの時代のご先祖が列強諸国を超怖がっていたことは疑いようがないほど伝わってきてるので、そんなに恐い列強に対して、いかに被害を最少にして列強に巻かれるかではなく、いかにして日本も列強になるか、そのためには列強の真似をしなくてはというルートを選択したことが、今の我々にとっても参考になると常々思っている。
なりたくても今現在なれぬものに対しては、模倣が最善であると歴史から学ぶ。

ハンドドリップは奥が深い

タイトルは嘘。ハンドドリップは、奥が深くない。
コーヒーを淹れるのはお湯さえ沸かせば誰がやってもできる作業だ。
機械でもできる。
というか、自分が淹れたのは機械よりまずい。ただ、自分はこれ以上の便利さに溺れたくないので手作業で淹れるようにしている。
自分にとってハンドドリップがそれ以上になることはないかもしれない。
それでも、自分以外の、淹れてくれる人に対して感謝の気持ちを込めて、こう言うのだ。ハンドドリップは奥が深い、と。

ヒゲそりという名のダンディズム

40を間近にして最近ヒゲそりをはじめた。
それまではヒゲを剃っていなかった。20代のころは幼く見える顔になんとか貫禄をつけたくてヒゲを蓄えようとしていたし(この頃は貫禄はつけるものではなくてつくものだということを知らなかった)、30代のころはあんまり何も考えてなかったけど別にヒゲを剃らなくても何とかなっていたような気がしていたので剃ってなかった。
さすがに年齢が40前後になってくると、人から少しでも不衛生だと思われると即不快感に繋がると思ったので正宗さん小ぎれい化計画の一環としてヒゲを剃ることにした。逆に言うと、30代までは多少不潔に見られても、見る人の見方によっては色気ともとれるのではというようなことを考えていたわけで、我ながら脇が甘い。
まあとにかく、男は40になったら清潔感にステ振り全力だ。

ヒゲそりについていろいろと試してみた結果、フェザーの両刃に落ち着いた。

これだと柄も安いが替え刃がとにかく安い。何より、ヒゲそりという日常の身だしなみ行為に自分のスキルが伴うという能動的な要素が入るところが気に入った。

そもそも何のためのヒゲそりなのか

ヒゲそりに手間をかけたくない…そんな人は多いがズバリ言うとわかってない。
40年間まともにヒゲそりしたことなかった私が言うのだから間違いない。私が筋金入りのわかってない人間である。わかってない歴40年の、君らより大先輩であるぞよ。
生存競争で不利にも関わらず派手な出で立ちであるクジャクの雄を例に出すまでもなく、本来男は身だしなみに気を付けるべきなのである。
女の身だしなみは装飾美だが、男の身だしなみは基本は機能美である。
クジャクの雄は装飾美なのでさっそく矛盾が生じているが説明するのに都合が悪いので忘れていただきたい。

そもそも何のためのヒゲそりなのか。
毎朝、自分のために15分、ヒゲそりの時間をゆっくりとること、これこそが男のダンディズムではないだろうか。

n+1枚刃のゲームからいつ降りるか

月並みな言い方だがカミソリの枚数が多すぎなのである。
はじめて2枚刃が出てきたときは凄いとおもったし、そこから3枚刃に増えたときもまあ、今後の展開は読めたけどついていく気は少しはあった。
本当に4枚刃、6枚刃と増えてきて「深ぞりだけを考えると、本当は2,3枚刃でいいんですが、枚数が増えると肌への負担が減るんです!肌への負担が!減るんです!」とか言い出しちゃうと、「肌への負担ねえ…」と苦笑いしか出てこなかったし、なんかついにモーターでぶるぶる震えるようになってくるといい加減ちょっと付き合い方を考えるような感じになっちゃった。

カミソリの替え刃商法については、フリーミアムの勉強してるときにそっちの観点から興味持ったことがあって、実は最近は少しずつ替え刃をアップデートしない流れになってきてるんだけど、それでもそのゆっくりとした流れを待つよりはこのn+1枚刃ゲームからさっさと降りたほうが益は多い。
つまり複数枚刃のカミソリをやめて1枚刃でヒゲを剃るべきだ。

そもそも、
ケガをさせないために刃を寝かせた
→刃を寝かせたから深ぞりができなくなった
→深ぞりができなくなったから刃を増やした
→刃を増やしたから値段が高くなった <今ココ!>
この無限ループに対する我々の選択肢はいたってシンプル。
1枚刃でケガをせず深ぞりする練習をすればいい。
それか、このラットレースにいつまでも乗り続けるか。

毎朝ヒゲを剃るための腕を磨こう

練習!とてもいい!今まで受動的にやってた、つまり「社会人だから」という、具体的に誰のためなのかよくわからない圧がかかってやってたヒゲそりという行為が、全て自分のための時間にかわる。
なるべく手間なく簡単に済ませようと思っていた時間が、自分のために時間を作る男へと、生き方が変わる瞬間になる。

最初のうちはケガするが、やり方はyoutubeで調べればいい。

たぶん英語でヒゲそりの説明をしているはずだが英語はわからないので(もしかしたら英語じゃないかもしれないが、とにかく日本語以外の言語で喋っていると思うので)言葉はわからないが、見ているだけでもだいたいやり方はわかってくるはず。
英語がわからないのに、喋っている内容がヒゲそりの説明だとなぜ思うのか?
そこは我ながら不思議だ。もしかしたらヒゲを剃りながら「木星の表面に目玉焼きみたいな美味しそうな模様があって、ついつい見とれてしまう」といった話題をしているのかもしれない。わからないが、私は、そうじゃなくてヒゲそりの説明をしているのだと思った。

電気シェーバー

電気でヒゲを剃る?パソコンとかの電源のあの電気?きみらがいつもエロ絵とかみる道具につかってるパソコンの電源であるところのあの電気?
ありえんゎー。

毎朝刃物を扱う行為

人間は集団で地上最強、単体で脆弱な種であるから、人間同士の本質は協調にあると思う。
では男にとって刃物とは何のために存在するのかというと武器ではなく狩猟の道具だ。
だから、毎朝、カミソリ程度の小さい刃物を顔に当てて動かし方を練習する行為は、狩猟をして集団に貢献する、ニンゲンのオスとしてのプリメティブな価値を高めてくれるようにも思う。

それと、顔の凹凸をうまく立体として捉えないとうまく剃れないことから、毎朝鏡の前に立って自分の顔を立体として認識する作業。
いつのまにか年を重ねただけのヒトになってないか、
うまく大人になれているだろうか、
イヤな男の顔をしてないだろうか、
そういったことを自分と対話する時間にしている。

若いころを本当に雑に生きてきてしまったおかげで、年とってからたかがヒゲそりひとつとっても気を付けないと、心底ダメな人間になってしまう自分を癒してくれる本当の友達。
それがこの愛犬ロボ「てつ」です。

出合の辻

大阪から高野山を目指して、国道309号線を南下。
富田林で170号線に切り替え、その後河内長野から371号線に乗る。
そこから先のこと。

天見というところに出合の辻という名前の交差点がある。
「出合の辻にて天(あま)を見る──」
その名前にみあった、さぞかしロマンティックな謂われがあったに違いないと思って調べてみると、何のことはない。
どうやらむかしそこで合戦があったときに敵と出会い頭でぶつかったところのようだった。

われわれはふだん平和に暮らしていると、どうやらそこらへんの感覚が鈍るみたいで、出合と聞いて敵を連想することがあまりない。

敵と出会う話しといえば、ちょうど上方落語に宿場仇といってこんな話しがある。
大阪の日本橋(お伊勢参りの客むけに、宿場町として当時賑わっていたそうだ)にある宿屋に、仲良し三人組が泊まりに来るんだけど、たまたま居合わせた隣の部屋のお侍さんに、誤解から来る恨みを買われ、お侍さんの妻の仇として三人は命を狙われてしまう。
いつもは賑やか三人組もこれには肝を冷やし、眠れぬ夜を過ごすが──
落語の話しなので落ちを話すのはここれは避けるが、落語が持つ独特な雰囲気の落ちはぜひ味わっていただきたい。

未開の部族が文明とはじめて遭遇する話し

話しは少し変わって、パプアニューギニアにいる未開の部族が、はじめて白人と出会ったときの映像というものがある。

映像の真偽については疑惑がある。それと、たまに削除される映像なのでもしこの記事内で見れなかったら「First contact with the tribe Toulambi」といったキーワードで検索すればいいと思う。

映像の中で興味深いのが、必ずToulambi族の先頭に立って未知の白人と接触する男達の存在。
部族にとっての責任者なのか戦士なのかわからないが、私はその男達を戦士と呼んでいる。
戦士は、部族の先頭に立ちゆっくりと、握手を求める白人に近づく。
カメラに気付きそちらに近づくが警戒は解かない。部族にとって危険なものなのかそうでないのか、見定めなければならない責任を、彼から感じる。

場面が変わって、白人の持つ珍しいものに触れる部族。
白人に対する警戒は解けたようだが、白人が持っているものが危険なものなのかどうかはまだ探っている様子。
部族の子供たちはすぐに打ち解けたようだが、戦士達の反応はまだ渋い。彼らには、この白人が部族に災いをもたらす存在なのかそうでないかを見極める責任があると思われる。
戦士が、白人の持っているマッチに興味を示す。火を付ける。部族達はたいそう驚く。

ナレーション「おめでとう!彼らはわれわれ白人の文明にはじめて触れることができたのです!素晴らしい文明の世界にようこそ!」
英語は聞き取れないので本当にこう言っているのかはわからないが、ナレーションが入る。
私は、このときの戦士の顔が忘れられない。

それまでの、部族を守るため危険を一身に負う、誇り高き戦士の顔から一瞬にして、
文明というよくわからないものを忌諱する、粗野で下卑た肉体労働夫の顔へと変わってしまった。
文明は、彼らから戦士の誇りを奪ったのだ。

考えてみれば、部族に危険が及ばないに越したことはないわけで、そういう意味では戦士とは必要悪であるし、文明は部族から危険を取り去ったと言える。
一緒に奪われた戦士の誇りはどこにいくのだろう。
今後彼らに、かわりに危険なだけの肉体労働を押しつけて。

他人に自分はどう映っているんだろう

ある映画の話し。
男が鏡の前で何か喋っている。どうやら、鏡の中の自分に対して脅しをかけているようだ。
「てめえのせいでおれの妻はふさぎ込んでしまった!」
「どうしてくれるんだ!」
「なんとか言ってみろ!」
いったいどういうことなのかと思って話しの筋をおっていく。
この男は俳優なので(映画なんだからドキュメンタリーでもない限り登場人物が俳優なのは当たり前だろ、ということではなくて、映画の中で俳優である設定ということ)、その特技を活かしてある人物を脅すための練習をしているようだ。
映画の中で重要な場面なので、何の映画なのかは伏せておく。

また別の映画の話し。
「ぼくは人気者だった。でも、もう魔法は解けたんだ!」
くもりときどきミートボールという映画でブレントが言ったセリフ。
私も、むかし、両親からとってもすてきな魔法をかけてもらっていた。
とくに何もしなくてもみんなから好かれて人気者になれるという、とってもすてきな魔法を。
すてきな魔法をかけてもらって幸せいっぱいのぼくちゃんだったわけなんだけど、その魔法の効果は時限式であることに気がついたのは、魔法が解けてしまってからあとだった。さらに不幸なことに魔法が解けてしまったことすらしばらくは気がつかなくって、無様に人気者を気取っていた時期があった。

話しはさらにかわって、こんどは歌手の話し。

ケイティ・ペリーがすごいなあと思うのは、万人が認める美人というわけではないのに(このくだりケイティ・ペリーにすごく失礼だとは思うが、美人と思うかどうかは人によるので。ちなみにすごく美人だと私は思う。ここでしている話しは、誰もがそう思うかどうかわからないという話し)、自分を表現する方法をこの人はすごく知ってる。
すごく知ってるので、それをきちんと実戦できてるし、実戦できてるから誰がみてもすごく楽しいエンターテイメントが完成してる。
たぶん、たぶんなんだけど、自分を表現しようとするときに、人にみられたくないコンプレックスの部分は誰にでもあるはずだ。だけど、何のための表現なのかということを考えたとき、ケイティ・ペリーのケースは完全に自分をコントロール出来ていて、見る人を楽しませるということにすごく成功している。

客観的にみて自分がどんな人間なのか、人はコントロールが可能だと思う。
個人個人のスキルとして、できるかできないかの問題は人によるけど、可能か不可能かでいえば可能であることに気付く。
例えばちょうど、おれはサッカーができるかできないかの問いと似ている。可能か不可能かで言えば可能であるが、どのレベルまでできるかは別。ただ、今は可能か不可能かの話しをしていて、答えは可能だと思える。
自分はどういう人間になりたいのか。
とは、
自分はどういう人間に思われたいのか、に限りなく等しい。
等しくない部分もあるが、無視できるレベルで等しい。
そこで冒頭に書いた役者の話しに戻るが、どう思われたいかは、練習すればいい。
そう。
練習すればいいのだ。
練習さえすれば、人はなりたい自分になれるのだ。こんな簡単なことに気がつかなかったなんて。

ただ残念なことに、おれは自分が何になりたいのか忘れてしまった。なりたい自分というものがない。
否。できれば仙人になりたい。
人里離れた山にこもって、バイクの修行をして、ときどき山を下りてきて変態行為や迷惑行為をはたらいて近隣の住民に迷惑がられつつ、地元の小学生の悪ガキたちにバイク仙人と畏怖されて暮らしたい。

それがおれのプレシャス
ディアマイフューチャー
ディアマイドリーム
WOWOW…

バイクに乗ってコンビニへいこう

バイクに乗ってると強く確信するんだけど、バイクとはこの世で最もキツい部類の合法ドラッグである。
スクーターとかクルーザーとかファッションバイクなんかだとそういうことあまり感じないかもしれないけど、そのほかの、バイク乗らない人から見てオタクが乗りそうな形のバイクに乗っていると、脳のドーパミンの出方がやばいのが、自分でもすごく感じられる。合法で得られるほかのドラッグのどれよりも。

私が知ってる合法ドラッグはいろいろあって、お酒、タバコなどの嗜好品、パチンコなどの替玉遊技、競輪競馬競艇などの公営ギャンブル、ネットゲーム、ソーシャルゲーム、あたりがぱっと思いつく限り。パチンコやギャンブルはやったことないけど、それ以外はどれもそれなりに依存した体験があって、とくに酒とタバコはつい最近までやめられなかった。
あと、砂糖や油もドーパミンよく出るよね。食品を合法ドラッグと呼ぶのは、ちょっと違うもと思うけど、あとで話を進めるためにここでは砂糖と油も合法ドラッグということにしておこう。

で、バイクの話しにもどるけど、バイクに乗ってるとどの合法ドラッグよりもドーパミンが分泌してる感じがする。
だからこう信じているのだ。バイクは最もキツい合法ドラッグであると。
驚きだ。今まで、私を含めたほとんどみんな、バイクは交通手段だと思っていたのに。

確かに、バイクはクルマの下位互換にあたる交通手段として使われてきたし、そういうふうに世の中は発展してきた。
だから、経済的な理由などでクルマは持てないけどさしあたって最低限エンジンの付いた移動手段が欲しいという層に向けて、バイクは売られてきたし、そういうふうに使われてきたし、法律もそういう体で整備されてきた。

だから、ほとんどの人は知らないのだろう。
この世で最もキツいドラッグを、合法で、しかも免許までもらって税金で整備された公道を使って、白昼堂々とキメることができて、各種保険まで用意されていて、購入から運用にかかる費用は仕事の経費として計上できる、バイクという笑えるくらい面白いドラッグの正体を。

バイクに乗ってない人はもちろん、バイクに乗っている人でもこのことは知らない人が多いと思う。
この段落は、退屈なら読み飛ばしてもいいんだけど、書かなくても当然のことをいちおう書いておくと、私はバイクによる違法行為や暴走行為を推奨しているわけではない。
バイクの楽しみ方や尊法精神の大切さはこの話しでの本質とは関係ないのであまり詳しくは触れたくないが、バイクという合法ドラッグの効き目は、人が思っているよりもずっと、交通ルールやマナーをしっかり守った状態でも、むしろ守ったほうがより強く、楽しむことが出来る。
あと、この記事で言うドラッグとは、広義の薬の意味で使っていなくて、ある種の依存症のある行為を示しているが、合法ドラッグには効き目や依存度の強さ、禁断症状の強さなどをわけて考えないといけないけど、それもこの記事では詳しい説明を省いている。詳しくは酒や煙草の話しのときに書きたいが、バイクは依存度や禁断症状のリスクはほとんど無く強い効き目だけを感じることができる。
書かなくてもいいんだけどいちおう書いておく段落は、ここまでで終わり。

話を戻そう。
そんなふうに色んなことを考えながらバイクに乗っていると、ふと気がついたんだが、ほとんどの合法ドラッグはコンビニで買えるのにバイクだけはコンビニで扱っていない。
いや。
逆に言ったほうが正しい。
コンビニは合法ドラッグ売り場だということに気がついた。

24時間いつでも開いてて、気が向けば簡単にドーパミンが出る依存性のあるものが手に入る。
ネトゲやってて課金がきれたんでフレ待たせてコンビニに走る。
店内入ってまず向かうはネトゲやソシャゲのプリペイドカード売り場。
ついでに大量の酒。そしてタバコ。
砂糖たっぷりのお菓子と油でコーティングされたお弁当。

小さいころ、自分がどんな子供だったかもう忘れたし、どんな大人になりたかったかも忘れてしまった。
少なくとも犯罪者にはなってないからこれでいいやとも思う。
否。
これでいいのかと思うことすらないから、これでいいやという結論を出すまでに至らない。
忘れたのか、考えなくなったのか。
どうなんだろう。

「便利さの奴隷になってはいけない」
母にそう強く教えられた。
その考え方を、小さいころ、若いころはよくわかっていなくて、反発すらしたことがあるけど今ならなんとなくわかる。

コンビニで売ってあるのは、便利さであって豊かさではないんだな、そうだこれこんどブログに書こう、と思いながら国道735号線を日常から逃げるように南下するバイクのアクセルをひねった。