長年地元で愛されてきた銘店の跡地。
事務所として借りたのは、そんな物件だった。
一軒家を改造した、古民家風の和菓子屋。「まるでぼくみたいだ」最初に感じた印象が、それだった。
構造上必要でないのに、それ風に見せるために作られた土壁や梁。どこにも通じてない障子貼りの扉。機能してない人工的な小川。蜘蛛の巣が張ってある庭園風の庭木。
そのどれもがそれっぽく見てくれだけは良くて、壊れてて、空っぽで、つまりは虚ろだった。
「まるでぼくみたいだな」
もう一度、今度は声に出してつぶやいてみた。
なかばあきらめ気味に、自嘲して。とんでもないところを借りちゃったのかな、ふとそんなことまで頭をよぎった。
台風の日、まだ誰も居ない借りたばかりの事務所を訪れて、雨漏りしている天井を確認しながら改めてこの建物の古さを認識した。大きな借金をしてまで漕ぎ出したこの事業。やるべきことをやるために、この町で事務所が必要で、時間と選択肢が限られている中、不安だらけだった。どうしても必要だとはいえ、ここからの出発に、大きな不安を感じずにはいられなかった。こんな不安な気持ちを抱えて、ぼくは、ここを愛せるのだろうか。
もとの店舗があまりいい終わり方をしていなかったことも、ぼくの心を不安にさせた。この場所のいたるところで感じる、債権者たちが乱暴に扱った跡。いやが応にも自分の失敗を連想しないわけにはいかなかったし、何よりこれから自分たちが仕事する拠点となるところを、破壊された跡を見つけるたびに心が折れそうになった。
「まるでぼくみたいだ。ぱっと見てくれだけはきれいだけど、古くてところどころ壊れてて、この建物はぼく自身だ。だからぼくがしっかり愛そう。この建物は応えてくれるはず」
壊れてしまった自分を愛するように、ひとつひとつ、ていねいに直した。床を補強し扉を直しトイレを磨いた。この場所に、たくさんの人が笑顔で集まることを信じて。
数カ月かけて作った自作のお気に入りマグカップ。届いてすぐの数日後、不注意から取っ手が壊れた。少しだけ落ち込んだが、修理すれば使えるだけのこと。修理用のエポキシを使って取っ手をつなげた。
自分の手で直した物は、ますます自分のものになったような気がして、ますます愛着が湧いた。
事務所もそうだった。
自分で手をかければかけるほど、この建物のことがわかってきた。好きになった。出会いの印象はあまりよくなかったけど、理解してしまえばなんてことなかった。
たくさんの人に来てほしくて、精一杯背伸びをして着飾ってる古民家風店舗。古くなってガタがきてて、今にも壊れそうだけどそれでもなお、構造的に雨漏りするほど無理してまでも、この建物はそこにあり続けた。その目的はただひとつ。この建物は、人をもてなすために、ただあり続けた。人に、好きになってもらいたがっていたのだ。
数カ月。無休で修繕を続けた。
その甲斐あってか、徐々にだけどたくさんの人が来てくれるようになった。
ここで働きたいという人も増えたし、ここに人が来てほしいという人も増えた。
まだまだ道は半ばだけど、いや、その入り口に立ったばかりではあるけど、人に愛されたいと願う建物の望みはかないつつある。ただの物でも、人が手をかければ輝くことが出来る。いや、実際はこの建物を愛する人々のほうが輝いているのかもしれない。
まな板と出会う
製材所で天然木のまな板を探してたとき、ふと手に取ったいびつな形をしたまな板のことが気になった。
「ああ、それな。それは木の形にあわせて作ったから、ここらへんがこう、欠けてんねん。工業製品と違ってどうしても木の形にあわせて作るからな。こういういびつな形になるまな板も出てくるねん。それやったら売り物にならんから、タダでもって帰ってもええで」
製材所の主人は気さくにそう説明してくれた。
「いえ、タダだなんてとんでもない。これがいいんです。これ買わせてください」
無理していびつな形のまな板を買う必要はない。だけど、今のぼくにはこれがぴったりな気がした。完全な直方体になりそこねた、製品として価値のつかないまな板。それは、工業製品の見方からすると確かに価値のないものなのかもしれない。でも、ぼくには、天然の木だった形を活かした、ぼくだけの相棒となる道具のように感じたのだ。
あれから一年。ぼくが選んだまな板は最初の狙い通り、使えば使うほど人に寄り添ってくれるように、手に馴染むようになった。まな板と食材と包丁の関係。これから食すものを扱うだけに、道具がぼく自身に近い位置にいてくれることが、毎回とてもうれしく感じる。
そして、一年かけて準備していた、天然木のまな板の販売。これがついに日の目を見ることになった。
どうして天然木のまな板を売りたいと思ったのか、その理由をここに書くには長すぎる。でも、最初にいびつな形のまな板を手にしたときから商品として世に出せるようになるまでの、これは成長物語だ。
ぼくが愛して、みんなが愛したこの事務所に、集まってくれたみんながひとつひとつ検品して、手作業で焼印を押して手作りの風呂敷に包んで、商品として完成されていく。まるで夢を見ているかのようだ。
たくさんの人が愛してくれたからこそ、中身のある商品が出来るようになった。ぼく一人では、とても無理だった。事務所に人が集まってくれたからこそ、成すことができた。もう事務所も空っぽの建築物じゃない。人が集まり、物があつまり、思いが集まる場所に成長してくれた。
物を人の上位に置かないからこそ、物を愛することが出来るし物は人を愛してくれる。壊れた自分を愛するように、壊れた物を愛したからこそ、この場所から素晴らしい物が生まれた。
はじまりは、壊れかけた建物と、いびつな形をしたまな板だった。その出会いはいつしか人を呼び、本物になることができた。
もう見てくれだけのまな板じゃない。
みんなで作り、みんなで愛したこのまな板。
手にしたあなたへ。
自分を愛するように、この道具を愛してほしい。