保育園に行きたくないと、きみは泣く。
おかあさんと一緒にいたい。おかあさんと、はなれたくない、と。
そうだよね。
きみはまだ、おかあさんに甘えたいさかり。それなのに、なぜ、おかあさんと離れて保育園にいかなくてはいけないのか。
なぜ、保育園は休めないのか。
それは─────。
それは、きみが、
奴隷の子だからだょ。
2ヶ月ほどバイクで旅に出て遊びまくりたい
わたしが奴隷だと考えるようになったきっかけは、2ヶ月くらい遊びまくりたいと思ったときだった。
妻子ある社会人として、仕事を放り出して2ヶ月も遊ぶことには抵抗がある。
2ヶ月仕事がなくて結果的に遊んでることは、ざらにあるのに、能動的に遊びたいために仕事を休むというふうに、順番が逆だと心理的に抵抗があるのは、なぜなのか。
1週間から10日くらいなら、いい。1ヶ月でもまだ、なんとなくわかる。
2ヶ月はだめだ。なぜなのか。
なぜ、20歳から60歳までのあいだ40年間のうち、たったの2ヶ月を、自分のために使うことが”できないと思うのか”。
それは、自分が精神的に奴隷だからにほかならないからだと、思うようになった。
自分を縛るものは何なのか
これは、こうみょうにしくまれたわななのか。
わたしは、何に縛られているのか。
表向きは住所が無くても自由だけど、実際には役場で管理できる住所がないと何も生活が出来ない社会の仕組み。
住所がないと生活できないのに住民税は必須でおさめなくてはいけない。ふざけてる。
もうずいぶんも前から、人類の食料は保存がきくようになっているのに、毎日毎日働かなくてはいけない。
何のために?家賃のために。
食うためには働くことが必要で、働くためには家賃を払わなくてはいけなくて、住所には税金がかかる。
食う目的以外で働かなければいけない要素が多すぎる。
家賃と税金を支払い、いくばくかの残ったお金は全部ショッピングモールに消える。
ショッピングモールには、奴隷しか欲しがらないようなおしゃれなゴミが並び、自分の命の時間を切り売りして得たお金をつかうという作業が週末には用意されている。そんな自由が与えられている奴隷。
そういうことなのか。
違う。
わたしを、奴隷として貶めているものは、ほかならぬ自分自身なのではないか。
奴隷根性の抜けきらぬ、自分の弱い精神が、自分をみじめにしているだけなのではないか。
フォース
私は、人をだましたり嘘をついたりすることが”すごく好き“で、それは手品や楽しいホラ話などの趣味に発揮されている。
だから、あくまで自由意志として人々を追い込むという仕組みに対して、興味を覚える性格をしている。
制度への批判が多少あがっても、自己責任や精神論に持っていきやすいし、全体の問題を個々の問題にすり替えたり、逆に個々の問題を全体に置き換えたりといったことが都合よく行えるのも魅力的だ。
ずっと前にわたしは、お金持ちが食べるお肉を自分も食べることができる機会があって、そのときすごく感じたことがある。
お金持ちが食べるこのお肉の、こそげ落として捨てる部分、ふだんわたしがスーパーで買ってくるお肉にそっくりだ。
ああ、そうか、お金持ちが捨てる部分の肉をパック詰めにして、わたしに売ってるんだ。同じ貨幣を使っているから、すごくわかりにくいけど、お金持ちとわたしとではお金の使い方が全く違う。
と。
さっきからイオンモールに親でも殺されたかのような勢いだが、もちろんそんなことはなく、いい品をより安く多くの人に安定して提供できるように尽力している各小売業界の人達には敬意をもっている。
実際には、人間は集団で地上最強として生きていることは前にも書いたとおりだし、そのためには社会に属していないといけないし、それはどんなに無頼を気取っていても絶対条件だし、人類の社会の最小単位は家族であり家族は地域に属す以上、地域に対して税を持ち寄ることは生きていくうえで最低限必要なことだし、だから、わたしの言うことは間違っているし。
それはわかっている。
だけど。
「実際のところ、なんでもバランスが大事よね。極端なのは、よくないよね」という、”あたりまえの正しさ”を書いたところで話しは何も面白くならないので、わたしは、書かなくてはいけない。
きみが泣いているのに、保育園にあずけなくてはいけない、その理由をこたえる義務がある。
お母さんに甘えたいさかりの子を、引き離してまで働かなくてはならない理由とは何なのか
泣くわが子と離れてまで働く程度には社会に縛られていながらも、何も感じないほど暗愚ではないし、かといってそれを社会の仕組みのせいだけにしたり個人の精神論だけで解決しようとしたりするほど、精神的に自立していないわけでもない。
ただ、幸運なことにわたしは自営業者なので、仕事を休みたいときに、可能であれば休める。
可能であれば、という、とても強く抽象化された条件付きではあるが、そのくらいの自由度は、ある。
つまり、イヤイヤ働いていることは一度もない。
私が働くと、周囲が喜ぶのである。わたしの仕事は、世の中に役立っている。
だから答えよう─────。
きみがちょっと泣いたぶんだけ、世の中が少し良くなるんだよ。