出合の辻

大阪から高野山を目指して、国道309号線を南下。
富田林で170号線に切り替え、その後河内長野から371号線に乗る。
そこから先のこと。

天見というところに出合の辻という名前の交差点がある。
「出合の辻にて天(あま)を見る──」
その名前にみあった、さぞかしロマンティックな謂われがあったに違いないと思って調べてみると、何のことはない。
どうやらむかしそこで合戦があったときに敵と出会い頭でぶつかったところのようだった。

われわれはふだん平和に暮らしていると、どうやらそこらへんの感覚が鈍るみたいで、出合と聞いて敵を連想することがあまりない。

敵と出会う話しといえば、ちょうど上方落語に宿場仇といってこんな話しがある。
大阪の日本橋(お伊勢参りの客むけに、宿場町として当時賑わっていたそうだ)にある宿屋に、仲良し三人組が泊まりに来るんだけど、たまたま居合わせた隣の部屋のお侍さんに、誤解から来る恨みを買われ、お侍さんの妻の仇として三人は命を狙われてしまう。
いつもは賑やか三人組もこれには肝を冷やし、眠れぬ夜を過ごすが──
落語の話しなので落ちを話すのはここれは避けるが、落語が持つ独特な雰囲気の落ちはぜひ味わっていただきたい。

未開の部族が文明とはじめて遭遇する話し

話しは少し変わって、パプアニューギニアにいる未開の部族が、はじめて白人と出会ったときの映像というものがある。

映像の真偽については疑惑がある。それと、たまに削除される映像なのでもしこの記事内で見れなかったら「First contact with the tribe Toulambi」といったキーワードで検索すればいいと思う。

映像の中で興味深いのが、必ずToulambi族の先頭に立って未知の白人と接触する男達の存在。
部族にとっての責任者なのか戦士なのかわからないが、私はその男達を戦士と呼んでいる。
戦士は、部族の先頭に立ちゆっくりと、握手を求める白人に近づく。
カメラに気付きそちらに近づくが警戒は解かない。部族にとって危険なものなのかそうでないのか、見定めなければならない責任を、彼から感じる。

場面が変わって、白人の持つ珍しいものに触れる部族。
白人に対する警戒は解けたようだが、白人が持っているものが危険なものなのかどうかはまだ探っている様子。
部族の子供たちはすぐに打ち解けたようだが、戦士達の反応はまだ渋い。彼らには、この白人が部族に災いをもたらす存在なのかそうでないかを見極める責任があると思われる。
戦士が、白人の持っているマッチに興味を示す。火を付ける。部族達はたいそう驚く。

ナレーション「おめでとう!彼らはわれわれ白人の文明にはじめて触れることができたのです!素晴らしい文明の世界にようこそ!」
英語は聞き取れないので本当にこう言っているのかはわからないが、ナレーションが入る。
私は、このときの戦士の顔が忘れられない。

それまでの、部族を守るため危険を一身に負う、誇り高き戦士の顔から一瞬にして、
文明というよくわからないものを忌諱する、粗野で下卑た肉体労働夫の顔へと変わってしまった。
文明は、彼らから戦士の誇りを奪ったのだ。

考えてみれば、部族に危険が及ばないに越したことはないわけで、そういう意味では戦士とは必要悪であるし、文明は部族から危険を取り去ったと言える。
一緒に奪われた戦士の誇りはどこにいくのだろう。
今後彼らに、かわりに危険なだけの肉体労働を押しつけて。

他人に自分はどう映っているんだろう

ある映画の話し。
男が鏡の前で何か喋っている。どうやら、鏡の中の自分に対して脅しをかけているようだ。
「てめえのせいでおれの妻はふさぎ込んでしまった!」
「どうしてくれるんだ!」
「なんとか言ってみろ!」
いったいどういうことなのかと思って話しの筋をおっていく。
この男は俳優なので(映画なんだからドキュメンタリーでもない限り登場人物が俳優なのは当たり前だろ、ということではなくて、映画の中で俳優である設定ということ)、その特技を活かしてある人物を脅すための練習をしているようだ。
映画の中で重要な場面なので、何の映画なのかは伏せておく。

また別の映画の話し。
「ぼくは人気者だった。でも、もう魔法は解けたんだ!」
くもりときどきミートボールという映画でブレントが言ったセリフ。
私も、むかし、両親からとってもすてきな魔法をかけてもらっていた。
とくに何もしなくてもみんなから好かれて人気者になれるという、とってもすてきな魔法を。
すてきな魔法をかけてもらって幸せいっぱいのぼくちゃんだったわけなんだけど、その魔法の効果は時限式であることに気がついたのは、魔法が解けてしまってからあとだった。さらに不幸なことに魔法が解けてしまったことすらしばらくは気がつかなくって、無様に人気者を気取っていた時期があった。

話しはさらにかわって、こんどは歌手の話し。

ケイティ・ペリーがすごいなあと思うのは、万人が認める美人というわけではないのに(このくだりケイティ・ペリーにすごく失礼だとは思うが、美人と思うかどうかは人によるので。ちなみにすごく美人だと私は思う。ここでしている話しは、誰もがそう思うかどうかわからないという話し)、自分を表現する方法をこの人はすごく知ってる。
すごく知ってるので、それをきちんと実戦できてるし、実戦できてるから誰がみてもすごく楽しいエンターテイメントが完成してる。
たぶん、たぶんなんだけど、自分を表現しようとするときに、人にみられたくないコンプレックスの部分は誰にでもあるはずだ。だけど、何のための表現なのかということを考えたとき、ケイティ・ペリーのケースは完全に自分をコントロール出来ていて、見る人を楽しませるということにすごく成功している。

客観的にみて自分がどんな人間なのか、人はコントロールが可能だと思う。
個人個人のスキルとして、できるかできないかの問題は人によるけど、可能か不可能かでいえば可能であることに気付く。
例えばちょうど、おれはサッカーができるかできないかの問いと似ている。可能か不可能かで言えば可能であるが、どのレベルまでできるかは別。ただ、今は可能か不可能かの話しをしていて、答えは可能だと思える。
自分はどういう人間になりたいのか。
とは、
自分はどういう人間に思われたいのか、に限りなく等しい。
等しくない部分もあるが、無視できるレベルで等しい。
そこで冒頭に書いた役者の話しに戻るが、どう思われたいかは、練習すればいい。
そう。
練習すればいいのだ。
練習さえすれば、人はなりたい自分になれるのだ。こんな簡単なことに気がつかなかったなんて。

ただ残念なことに、おれは自分が何になりたいのか忘れてしまった。なりたい自分というものがない。
否。できれば仙人になりたい。
人里離れた山にこもって、バイクの修行をして、ときどき山を下りてきて変態行為や迷惑行為をはたらいて近隣の住民に迷惑がられつつ、地元の小学生の悪ガキたちにバイク仙人と畏怖されて暮らしたい。

それがおれのプレシャス
ディアマイフューチャー
ディアマイドリーム
WOWOW…

バイクに乗ってコンビニへいこう

バイクに乗ってると強く確信するんだけど、バイクとはこの世で最もキツい部類の合法ドラッグである。
スクーターとかクルーザーとかファッションバイクなんかだとそういうことあまり感じないかもしれないけど、そのほかの、バイク乗らない人から見てオタクが乗りそうな形のバイクに乗っていると、脳のドーパミンの出方がやばいのが、自分でもすごく感じられる。合法で得られるほかのドラッグのどれよりも。

私が知ってる合法ドラッグはいろいろあって、お酒、タバコなどの嗜好品、パチンコなどの替玉遊技、競輪競馬競艇などの公営ギャンブル、ネットゲーム、ソーシャルゲーム、あたりがぱっと思いつく限り。パチンコやギャンブルはやったことないけど、それ以外はどれもそれなりに依存した体験があって、とくに酒とタバコはつい最近までやめられなかった。
あと、砂糖や油もドーパミンよく出るよね。食品を合法ドラッグと呼ぶのは、ちょっと違うもと思うけど、あとで話を進めるためにここでは砂糖と油も合法ドラッグということにしておこう。

で、バイクの話しにもどるけど、バイクに乗ってるとどの合法ドラッグよりもドーパミンが分泌してる感じがする。
だからこう信じているのだ。バイクは最もキツい合法ドラッグであると。
驚きだ。今まで、私を含めたほとんどみんな、バイクは交通手段だと思っていたのに。

確かに、バイクはクルマの下位互換にあたる交通手段として使われてきたし、そういうふうに世の中は発展してきた。
だから、経済的な理由などでクルマは持てないけどさしあたって最低限エンジンの付いた移動手段が欲しいという層に向けて、バイクは売られてきたし、そういうふうに使われてきたし、法律もそういう体で整備されてきた。

だから、ほとんどの人は知らないのだろう。
この世で最もキツいドラッグを、合法で、しかも免許までもらって税金で整備された公道を使って、白昼堂々とキメることができて、各種保険まで用意されていて、購入から運用にかかる費用は仕事の経費として計上できる、バイクという笑えるくらい面白いドラッグの正体を。

バイクに乗ってない人はもちろん、バイクに乗っている人でもこのことは知らない人が多いと思う。
この段落は、退屈なら読み飛ばしてもいいんだけど、書かなくても当然のことをいちおう書いておくと、私はバイクによる違法行為や暴走行為を推奨しているわけではない。
バイクの楽しみ方や尊法精神の大切さはこの話しでの本質とは関係ないのであまり詳しくは触れたくないが、バイクという合法ドラッグの効き目は、人が思っているよりもずっと、交通ルールやマナーをしっかり守った状態でも、むしろ守ったほうがより強く、楽しむことが出来る。
あと、この記事で言うドラッグとは、広義の薬の意味で使っていなくて、ある種の依存症のある行為を示しているが、合法ドラッグには効き目や依存度の強さ、禁断症状の強さなどをわけて考えないといけないけど、それもこの記事では詳しい説明を省いている。詳しくは酒や煙草の話しのときに書きたいが、バイクは依存度や禁断症状のリスクはほとんど無く強い効き目だけを感じることができる。
書かなくてもいいんだけどいちおう書いておく段落は、ここまでで終わり。

話を戻そう。
そんなふうに色んなことを考えながらバイクに乗っていると、ふと気がついたんだが、ほとんどの合法ドラッグはコンビニで買えるのにバイクだけはコンビニで扱っていない。
いや。
逆に言ったほうが正しい。
コンビニは合法ドラッグ売り場だということに気がついた。

24時間いつでも開いてて、気が向けば簡単にドーパミンが出る依存性のあるものが手に入る。
ネトゲやってて課金がきれたんでフレ待たせてコンビニに走る。
店内入ってまず向かうはネトゲやソシャゲのプリペイドカード売り場。
ついでに大量の酒。そしてタバコ。
砂糖たっぷりのお菓子と油でコーティングされたお弁当。

小さいころ、自分がどんな子供だったかもう忘れたし、どんな大人になりたかったかも忘れてしまった。
少なくとも犯罪者にはなってないからこれでいいやとも思う。
否。
これでいいのかと思うことすらないから、これでいいやという結論を出すまでに至らない。
忘れたのか、考えなくなったのか。
どうなんだろう。

「便利さの奴隷になってはいけない」
母にそう強く教えられた。
その考え方を、小さいころ、若いころはよくわかっていなくて、反発すらしたことがあるけど今ならなんとなくわかる。

コンビニで売ってあるのは、便利さであって豊かさではないんだな、そうだこれこんどブログに書こう、と思いながら国道735号線を日常から逃げるように南下するバイクのアクセルをひねった。