女の王

駅から男が出てきた。あいつが痴漢の犯人だ─────。
少年は、男に近づいた。

少年は、女の王と呼ばれた。
きっかけは、女友達から痴漢被害の相談をうけてからであった。

女友達からの相談の内容について、要約するとこうだ。
相談者は、痴漢の被害にあったが、加害者はえん罪を主張。
結局、証拠がないのでうやむやに。
恥ずかしい思いとこわい思いをしたうえに、嘘つき呼ばわりされたことになる。悔しい。
と、こういうものであった。

少年は、このあわれな女友達の報復行為を決行した。
本来、復讐行為は間違っていることくらいは、少年にもわかっている。
私的な復讐行為がまかりとおって得するのは、復讐できる力があるやつだけで、少年やその女友達のような弱い存在が復讐を行うということは、力のある奴にもっと力を与える結果になるだけである。それくらいは、わかる。
だが、現状はどうか。
法は弱者を守るために機能していないどころか、10代の少女に痴漢行為をはたらいたうえに被害者を嘘つき呼ばわりした男の後ろ盾として使われてしまっている。
相手は知っているのだ。目の前の無知な少女が、法を武器に使うことはできないと。だから、そんなに卑劣なことが出来るのだ。

少年はどのような報復を行おうか、考えた。
相手にケガをさせてしまってはだめだ。人を傷つけてはいけないといった道徳的見地からではなく、ただ単にリスクが大きい。
リスクが大きい上に、痴漢加害者をただの善良な被害者にしてしまうだけで、報復にはならない。
考えろ─────。
どうすれば痴漢を、白日の下に晒せるのか─────。
少年は考えを巡らせた。

痴漢は、奪っていった。友達から。
友達が、最近好きな子ができたこととか、塾でがんばっていることとか、バイト先のあまったドーナツをいつも持って帰って弟に喜ばれるのがうれしいこととか、育てているミニトマトのわき芽をとりすぎて枯らしてしまったこととか、友達のそういうところを一切関係なく。
おのれの一方的な欲望を満たすためだけに。
奪った。
友達の、自尊心だったり、誇りだったり、安心だったり、そういったものを、全て。奪い取っていった─────。
気軽に。カジュアルに。

だから、相手に与えてやればいい。
恥を。悪意を。混乱を。
相手が奪っていったものをそっくりそのまま。
仕事のプロジェクトの山場だったり、子供の習い事の費用だったり、病気の親の介護だったり、がんばっていることや部下や家族に慕われていることを、そういったものを関係なく。
相手が奪ったものを押しつけてやるのだ。少年は決意した。

痴漢の犯人は、すぐに見つかった。よく利用する駅で、少年は待ち伏せた。
少年は旅行者を装って、道をたずねるために相手に近づいた。
「すいません───」
「ああ、はい?」
「ここから三丁目にいくには、この道でいいんですかね。地図みてもちょっとわからなくて───」
「どれどれ、はいはい、ああ、えっとねえ、ここ。ここでいいよ。そしたら信号が見えるはずだからさ、そしたら右」
「なるほど、どうもありがと────────」
「えっ!??」
少年は満面の笑みでお礼をいい、相手もそれにこたえた瞬間。
隠し持っていた紐で相手の両腕をぐるぐる巻きにする。
「!??っ?……!??」
相手は事態を飲み込めていない。
相手の両腕を拘束するのに使った紐は、敷き布団のシーツを破って細長く繋げたものだった。
何重にも巻いて引っ張れば、人間の力でほどくことは不可能だ。
完全に相手の不意を突いた状態から、一時的に両腕を拘束するのに最も適していた。このために少年は何度も練習した。
2秒。
小さく丸めて隠し持った紐を、不意を突いた相手の手首に巻き尽きて自由を奪うための、少年が想定して練習した時間。2秒以上もたつくと、事態を飲み込んだ相手に抵抗の機会を与えてしまうかもしれない。少年は、このときのために2秒で相手を制圧できるように、繰り返し練習をしていた。
手助けしたと思ったはずの相手から、突然返される謎の制圧行為。成功だ。相手は完全に思考が混乱し処理落ちしたように固まっている。
少年は、おもむろに自分のズボンとパンツを下げ、下半身をあらわにする。
「!??」急展開する事態に男はついていけず、混乱をさらに深める。
「なにするんです!!!!たすけてください!!!!痴漢です!!!!!変態!!!!!」
「ちょっ!!!?ばっ!!!!!」
「変態!!!!やめろっ!!!!!」
いい具合に人の注目が集まりだした。下半身が裸になった少年は、相手をひっぱりながら倒れ込む。完全に少年が襲われている格好だ。
「変態!!!!はなせ!!!!」

野次馬がたくさん集まったところで、相手の両腕の拘束をすばやくほどき、泣き叫びながら逃げる。
「うわあああああああ!!!!!痴漢!!!!変態だあああああ!!!!」
涙とヨダレまみれになりながら、必死の形相で全力走する。
野次馬は一瞬、少年に注目するも、下半身裸にされて泣きながら逃げている少年に対して気の毒がって誰も追ってこない。
それよりは、痴漢のほうを取り囲もうとする。
少年は逃げ切れた。成功だ。
証拠がないからと女友達を嘘つき呼ばわりした男に、少年はみごとに与えることが出来た。痴漢の、動かぬ証拠を。
友達から奪ったぶんの自尊心を、恥として背負って生きていけばいい。


少年が女友達のためにはたした、報復行為をきっかけに、少しずつ少年のもとに女からの相談が増えた。
相談事は、痴漢被害に限らずちょっとした金銭トラブルや男女間の問題など多岐にわたったが、いずれも10代や20代の弱い立場の女性の力では解決できないような問題であった。
少年はその相談事をよく聞いたので、いつしか、地元の不良グループでも無視できないくらいの勢力ができてきて、そのトップとして少年の名が通るようになってきた。

少年は、いつしか女の王と呼ばれるようになっていた。
少年を慕うのは、もはや女だけに限らなくなっていたが、成り行き上、女の王と呼ばれることが多かった。
無視できない勢力のトップといっても、少年本人はそのリソースを行使したりしようともせず、暴力行為や略奪行為も行わなかったので、地元の不良グループやその背景にいる暴力団も、つけいる隙がなかったというか利害が発生しないので対立が起こらなかったというか、とにかく周りが警戒もなにもしないでいるうちに一気に勢力が拡大したかたちだった。
略奪行為などを一切行わなかったというのは、少年の道徳規範が特に優れていたというわけではなく、どうも少年にはそういう発想が一切なかったようであった。

結果として、周りと衝突しないあいだに少年の勢力は拡大していった。
社会に対して弱いものたちの掃きだめ、不良少年グループにおいてさらに立場の弱い女達からの、支持を集めた王。弱者の中の弱者の王。
少年本人も気付かない間に、少年は女の王となっていった。


少年が他の不良グループとの抗争に巻き込まれたのは、後輩のスケーター集団の縄張り争いに協力してしまったのがきっかけだった。
後輩達が、いつもいる遊び場を追い出されそうなので何とかできないかという相談にのったのがいけなかった。

どうも話を聞いていると、後輩達が迷惑行為をくり返しているので付近の住民達や他のスケーターから苦情がきているというのが実情であった。
悪いのは後輩達だからと、少年は意に介さなかったのだが、これが後輩達スケーター集団の恨みを買うことになる。

恨みを買ったのはスケーターだが、最初に敵対したのはスケーターではなくてバイカー達であった。
この地域のバイカーは大きくわけて2種類のチームがあって、ひとつはエンジェルス、もうひとつはロッカーズと呼ばれていた。
違いは、片方はスティードに乗った不良達で、もう片方はSRに乗った不良達である。
このうちのエンジェルスがまず最初に少年に敵意をあらわにした。

なぜエンジェルスが少年と敵対したかというと、エンジェルスのボスと交際している女も少年に助けられたことがあったからだった。そのことでボスは恩を感じるどころか、嫉妬心からずっと、少年のことを良く思っていなかった。ちょうど少年がスケーターと揉めたことをきっかけに、便乗して少年への抗争をはじめたのだ。
不良少年同士の対立というのは得てしてそんなもので、たてまえだけの大義名分などといったものすら存在しない。

こうして、エンジェルスによる少年狩りがはじまった。
少年を見つけ次第、捕まえてボスの前に連れてこい、多少、というよりかなり手荒な真似をしても構わない。全てのエンジェルスのメンバーにそう伝達された。
しかし、少年は捕まることはなかった。

エンジェルスは、少年が隠れたり逃げたりすると思っていた。少年は、その考えを逆手に利用したのだった。
少年は、最初に揉めるきっかけとなったスケーター達のいるところに、出没したのである。
エンジェルスはこれに大いに混乱した。
スケーターにしても目の前に堂々と少年がいると、誰か上の者が和解したのかと思って手を出せない。そもそも、スケーター達そのものは少年と対立していないという形になっている。もめているのは、あくまでエンジェルスがやっていることで、スケーターは関係ない。少なくともたてまえでは、そうなっている。
エンジェルスに至っては、きっかけであるはずのスケーターと仲良く(してるように見える)いっしょにいる少年に対して末端の者ではむやみに手を出せない。
エンジェルスは、大いに混乱した。

追う側の心理状態として、できるだけ短期に片付くことを望み、長期にわたるようになる事態を避けたがる。
つまり追う側にとって「これはもうすぐ見つけそうだ」とおもわせる情報を、目くらましとして渡してしまえば、その裏で逃げる者は長期戦に備えてじっくり用意を行えば、かなりの確率で追う側は混乱するものなのだ。
この習性を少年はよく知っていた。
少年が、この方法をどこで身につけたのかはわからないが、実のところ少年には「与える」能力があった。
与える能力とは何か。
一般的に、強いものは奪おうとし、弱い者は奪われまいとする。絶対的な強者というのは存在しにくい以上、誰もが相対的にマウントし合い、奪い奪われをくり返している。ちょうど、ループした輪を皆でときどき位置を変えながら引っ張り合っているようなものだ。
少年は、弱者で、与える。これは能力であり、他のひとびとが一生懸命になって張っている力の均衡を一気に崩せる効果を持つ。少年はこの能力が持つ効果をよくわかっていた。

結果的に、毎日町をぶらぶらしている少年ひとりを捕まえられなかったことは、エンジェルスにとって大きな恥をかかされたことになった。


結局のところ、少年は勝ったのか。
いいや。
この争いで、少年はエンジェルスに捕まることは無かったのだが、不運なことに食中毒で倒れて入院しているところを、「お見舞い」にきたスケーター集団にやられている。
襲撃された上に金品を奪われ(不幸なことに入院しているあいだに自宅も空き巣に入られている。少年の住み家を知るものはいなかったので、一連の抗争と関連があったのかは、誰にもわからない)、入院費用が嵩んだことがきっかけで借金をかかえ、街を去ることになる。
皮肉なことに、「与える能力」でのしあがった少年は、借金という、「与えられる能力」によって身を落とす。


怪我と病気と借金を負って街を出た少年の行方は、誰も知らない。

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